深田恭子さんの報道から思いだす、適応障害だった時の話①

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はるおが適応障害になった時の話です。まだ、経験の浅いはるおでしたが、5人前後のチームのリーダーとして働いていました。はるお自身には技術力はありませんでしたが、人と会話をすることは苦手ではありませんでしたらか、技術力のある人をチームに入れて、はるおはコミュニケーションの部分を重点的に取り仕切れば、ぎりぎりチームとしての体をなすことができました。

問題の少ないプロジェクトであれば、これでもなんとか乗り切れたのかもしれませんが、初めての技術や、初めてお付き合いする他社との調整などにより、計画はどんどんくるっていきました。

毎日捌いても捌いても、新しく発生する問題に疲弊し、退社時間も毎日夜の11時くらいでした。(他の人よりは早いほうでしたけどね)

問題が積み重なりタスクが増えると、はるおに割り当てられる仕事も増えていきました。

はるおのチームが問題を起こしているわけではないのですが、他のチームとのグレーゾーンの調整がはるおに重くのしかかりました。全員疲れ切ってピリついてますからね。調整をしようとすると、他チームから噛みつかれたりするわけです。

ちなみにはるおは、自分のチームを守ることを重要視するタイプの仕事をしますので、自分のチーム内から噛みつかれることはありませんでしたね。この時は、他のチームリーダーは全員自分より先輩でしたが、課長レベルの人にもきっちり要求を伝えました。

若くて、あんなにへろへろだったのにそこは頑張ったなと、今更ながら自分を褒めてあげたりしてみてます。

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